慈雲寺はこんなお寺です

禅寺ならではの情緒あふれる雰囲気をお楽しみください

慈雲寺の見所ポイントTOP3

美しい庭園

松、桜、美しい砂紋、岩、苔。
日本らしい奥ゆかしさを季節ごとに感じることができる日本庭園。
シーズンになると京都から庭職人を招き桜の木や松の木を手入れしています。

建築様式

開山堂位牌堂、納骨供養堂、鐘楼は「禅様」(鎌倉初期に禅宗とともに伝わった様式)と呼ばれる淡雅な風格と端正な姿の様式美をもつ建物。
部材ひとつひとつの曲線美が、建物全体に舞うばかりの軽妙さをみせます。純技法の禅様建築は全国にも少なく、貴重な建築物でもあります。
本堂(立川流)、山門(大隅流)は江戸時代後期の建築で町文化財に指定されています。

閑静な並木道

自然な木の美しさを表現するために、頭を止める剪定は行わず大木でありながらも端正に整えています。
枝をすくことで、自然光が入り参道には天然のコケがいきいきと群生。
コケでグラデーションされた杉並木の参道を抜けると、そこには美しい庭園が広がっています。

慈雲寺の歴史的背景
※現在準備中です

正安二年(1300)来朝僧一山一寧国師により開山

臨済宗妙心寺派 白華山(はっかさん) 慈雲寺(じうんじ) 本尊「千手千眼観世音菩薩」 
元国皇帝の国使として、中国四大仏教名山の一つ浙江省普陀山観音禅寺(現・普済禅寺)より来朝された一山一寧国師により、その印可の弟子となった諏訪大社下社大祝 金刺満貞公の願いにより、その山号、寺名のごとく、観音菩薩が仏の教えを垂れる寺、禅道場として、正安二年(1300)に開山された寺。

創建時は臨済宗建長寺派、途中臨済宗南禅寺派、その後臨済宗妙心寺派となり現在にいたる。
中国、諏訪大社下社、武田信玄公とも縁の深い寺です。

武田信玄公ゆかりの矢除石(やよけいし)

当寺は創建以来三度の火災により堂宇を消失しています。
天文六年(1537)の火災では、当時住職であった天桂玄長禅師が信玄公の帰依をうけており、その縁により信玄公支援による当寺の復興がなされました。そこで、信玄公が当寺の中興開基とされています。

天桂禅師は、武田氏菩提寺甲斐の恵林寺の住職も務めています。
そうした信玄公と天桂禅師のエピソードとして、川中島合戦に向かう信玄公が当寺を訪れ、矢を除ける念力のある石「矢除石」の念力のこめた御札を授かり合戦に向かったと伝えられています。

日本最古の八景選定の地、諏訪

八景とは十世紀の北宋で選ばれた中国同庭湖の瀟湘八景がはじまりです。
一山一寧国師撰定の諏訪八景は「五山文学」(鎌倉時代末~室町時代)の「雪村大和尚行道記」(建仁寺両足院蔵写本)のなかに慈雲寺の開山のため諏訪を訪れた一山一寧国師が八景を名づくとあります。これは現在日本最古の八景選定となります。
八景発祥の地、中国より日本を訪れた高僧一山一寧国師が日本選定最古の八景を諏訪の地にのこされた。それが記録として「五山文学」の中に記述されている。これはじつに諏訪の誇る宝です。

一山一寧国師は下記のように諏訪八景を撰ばれました。

慈雲晩鐘 (慈雲寺の夕暮の鐘声
清湖夜月 (諏訪湖上の真夜中の月)
春社花木 (春宮に春の花木の咲き盛った光景)
秋社風露 (秋宮の杜に秋の露がしとどにおりた光景)
砥橋跨虹 (砥川の橋の上にかかった虹)
萩蔵環翠 (萩蔵の牧(現在の社ヶ丘・星ヶ丘)を覆う深緑の光景)
飛湯濯疣 (ほとばしり出る温泉での禊ぎや病気治療のための入浴をする光景)
三済修禊 (御射山祭に向かう神官や参詣者が禊ぎをする光景)

PAGE TOP